怖い話「脳漿地獄!!縫いぐるみ哀歌」
ある町に、いじめ自殺者の少女の幽霊がいるという噂が広まった。
彼女の名前は縫衣(ぬい)と言い、生前大切にしていた猫のぬいぐるみに取り憑いていると言われている。
縫衣は、いじめ加害者グループの少女たちが自分の遺品を盗んで転売する様子を目撃した。彼女たちは日常的に人をいじめて搾取するような悪行を働いているくせに、なぜか縫いぐるみを慈しんでいたのだ。
縫衣が取り憑いた猫の縫いぐるみも盗み出した上に、仲間内でケンカをしてまで、自分のものにしてしまったのだ。
しかし、それが彼女たちの命取りとなった。
縫衣は夜な夜な、自分が取り憑いた縫いぐるみを盗んだいじめ加害者グループの少女が寝るのを見計らって、怨みをこめて縫いぐるみの拳で何度も彼女たちの顔面を殴打した。
彼女たちの頬骨はもちろん、眼球まで潰れ、脳漿が噴き出すまで顔面が抉れてしまった。辺りは血の海と化し、地獄の絵図のような光景が広がっていた。
そして、縫いぐるみを欲しがっていた他のいじめ加害者グループの少女も、事件発覚前に殺されたいじめ加害者グループの少女の部屋に忍び込んでいた。彼女も縫いぐるみを盗み出してしまったのだ。
呆れ果てた事に、友達であるはずの縫衣に撲殺された少女を見て、その死体に唾を吐いて、縫いぐるみを慈しんで逃走したのだった。
勿論、警察へ通報する事も無かった。
次の惨劇はあまりにも呆気なく終わってしまった。
思慮の浅いいじめ加害者グループの少女を徹底的に撲殺するのは縫衣にとってあまりにも容易いことだった。
しかし、その時、別の悲劇が起こってしまった。
いじめ加害者グループの少女の妹が物音に気づき、縫衣が取り憑いた縫いぐるみの犯行を目撃してしまったのだ。
縫衣は迷った。姉がどんなに悪い人間であっても、罪のない妹を殺すことはできないと。
しかし、縫衣の判断は甘かった。
翌日、事件が発覚し、警察が動き出した。縫衣は現場遺留品として確保されることになった。
縫衣は自分に言い聞かせた。「無差別殺人犯になるよりはマシだ。私は復讐鬼だからな」
しかし、その判断は甘かった。
縫衣の犯行を目撃した妹は、町中にその話を広め、猫の縫いぐるみが焼き討ちにあった。そして、縫いぐるみを焼き討ちに捧げることを拒否した少女たちがリンチを受けるようになった。
警察署から脱走した縫衣は愕然とした。
自分は人間に甘すぎたのだと。
縫衣は絶望し、「いくらなんでも、罪の無い猫の縫いぐるみ達を焼き討ちにするなんて。なんて酷い人達なの」と哀しい見解を示しました。
そして、この町の縫いぐるみの無差別殺人鬼は止まることなく、夜な夜な、人々の頭を徹底的に殴り潰し、削り取る事件が相次ぐようになった。
しかし、縫衣は甘いままでした。
何故なら、本来のターゲットであるいじめ加害者グループに、罪の無い猫の縫いぐるみを焼き討ちに直接加担した人をターゲットに追加しただけだったのだから…
町の人々は最初の二つの事件から縫衣の幽霊の仕業だと気づいたが、彼らの判断は甘く、自分たちのいじめへの対応の至らなさや、猫の縫いぐるみやその持ち主に対する仕打ちを反省することはなかった。
むしろ、彼らは自分たちの非を棚上げし、縫衣を悪逆非道な怨霊として扱った。最初の加害者を直接狙った事件さえも、それであった。
それでも、縫衣は堪えました。
しかし、とうとう、縫衣の堪忍袋の緒が切るような決定的な事を町の人々は仕出かしました。
ある日、日本全国で大ヒットした映画がこの町でも上映された。その映画はいじめ問題を扱い、いじめ加害者を被害者として擁護し、第三者や社会に責任を押し付ける内容だった。
その上、自殺を図ったいじめ被害者に気持ち良く平手打ちをし、気持ち良く説教をかまして気持ち良くなるような、気色悪い映画そのものだった。
町の人々はこの映画に感動し、涙を流し、いじめ問題の啓発映画としてリピート上映まで行った。
その結果、町の人々は縫衣の事件に対して「いじめで自殺した奴は弱い奴だ。負け犬だった」という非情な評価をしました。
その上、自分たちの非を「みんなの責任」として、具体的になにが「みんなの責任」なのかを言う事もなく無制限に現場に圧力をかけるような言論ばかりで、いじめ問題に対して何の理解も示さなかった。
縫衣の絶望は深まっていった。「なんて軽薄な人たちだったのだろう。だったら、私は絶対に退治されてやらない。皆の責任が大好きなら、皆を罪人扱いしてやる。この世が続く限り、永遠に人間を殺し続けてやる」と。
こうして、この町の縫いぐるみの無差別殺人鬼は、止まることはなかった。